持久性運動種目に関する知識に触れていくと乳酸性作業閾値 (LT)という用語に出会うと思います。このLTは、マラソンにおいて重要な指標になるという風にも言われますが、なぜLTとマラソンが関係するのでしょう? そもそもLTとは何を示しているのでしょう? またLTを高めるには、どのようにすればよいのでしょう? 本記事では、エネルギー代謝とLTについて徹底解説します!
なお、本記事は私の恩師である八田秀雄著の「乳酸サイエンス-エネルギー代謝と運動生理学ー」を参考に書かれています。運動生理学を学びたい方はぜひご参考下さい! 専門的な内容が多めですので、初学者には「乳酸を活かしたスポーツトレーニング」もおすすめです。
目次
忙しい人向けにざっくりまとめると
- 運動時に糖と脂肪は同時に使われる
- 運動強度に応じて糖と脂肪の利用割合が変わる
- 低強度では脂肪が多く使われ、高強度では糖が多く使われる
- LTは糖の利用を抑えながら運動できる限界の強度
- LT付近から骨格筋内で無機リン酸が増加し始め、糖分解が盛んになる
- LTを高めるには、ミトコンドリアを増やそう
- ミトコンドリアを増やすには、特に高強度トレーニングが重要
- しかし、実際には高強度トレーニングだけでなくバランスよくトレーニングするのが大事
運動中の主なエネルギー源[糖と脂肪]
糖と脂肪は同時に使われる
まず初めに、私たちが運動するときに利用しているエネルギー源についてご説明します。私たちが運動する時は主に糖と脂肪をエネルギー源として用います。実は、糖と脂肪は相反する性質を持ったエネルギー源で、”糖は使いやすいけど貯蔵量は少ない”、一方で、”脂肪は貯蔵量が多いけど使いにくい”という性質があります。よくある誤解として、ジョギングでは脂肪を使って、ダッシュでは糖を使うというものがありますが、実際にはどんな運動でも、糖と脂肪を同時に使っています。ただ、運動強度に応じて糖と脂肪の利用割合が変わってきます。簡単に言うと、ジョギングペースでは脂肪を主に使っていますが、ペースが上がるほどに糖の利用量が増えていきます。
運動時に糖か脂肪かどちらかしか使えないのではなく、どちらも同時に使います。利用比率が変わるだけで、ジョギングでも糖を使いますし、ダッシュでも脂肪を使います。
乳酸性作業閾値[LT]は糖の利用を抑えながら走れる最大ペース
例えば、マラソン競技ではよく30-35㎞地点から一気にペースダウンしてしまうという現象(30-35kmの壁)が見受けられます。この30-35㎞の壁をもたらす要因の一つとして、グリコーゲンの枯渇があります。人間の体内の糖の多くは、グリコーゲンという形で骨格筋や肝臓に貯蔵されています。貯蔵されたグリコーゲンの量は限られており、一度の運動で枯渇しうる量です。マラソンのような長時間の運動では、その競技後半にグリコーゲン貯蔵量が著しく減ってしまい(グリコーゲンの枯渇)、ペースの維持が難しくなります。そこで、マラソンを上手く走るためのポイントの一つは、糖を使いすぎないペースで走ることです。乳酸性作業閾値(LT)は糖の利用を抑えながら最も速く走れるペースです。LTペース以上になると糖の利用が急激に高まり、長時間運動中のグリコーゲン枯渇の危険性が増します。マラソンでは、前半・中盤はLTペース付近で走り後半に使える糖をなるべく多く残すことが、後半の失速を防いだり、ラストスパートを成功させたりする鍵です。
糖は速いペースで走るときに必須のエネルギー源です。マラソンの前半・中盤で糖を使いすぎると後半にどう頑張ってもペースを維持できなくなってしまいます。
LTペースを高めるためにはどうすればいい?
そもそもなぜ運動時に糖の利用が高まる?
LTペース以上では糖の利用が一気に高まると言いましたが、ではなぜLTペース以上になると糖の利用が増えるのでしょうか? 私たちの体のなかでは、ATPというエネルギーを使って筋収縮を起こし、走ったり跳んだりというような運動をしています。ATPは、ADPと無機リン酸 (Pi)という2つの物質に分解されることでエネルギーを生み出します。
ATPが分解され続けると筋収縮のためのエネルギーがなくなりそうですが、実はミトコンドリアという細胞小器官で糖や脂肪を元にエネルギーを作り、分解されたADPとPiを再び引っ付けてATPに戻すこと(ATPの再合成)ができます。運動強度の低いうちはATPの利用量は少なく、ミトコンドリアでのエネルギー産生によるエネルギーで、十分にATPの再合成をすることができます。一方で、運動強度が上がるにつれてATPの需要量は高まり、ミトコンドリアでのエネルギー産生でATPを再合成するのが追い付かなくなってきます。そうすると徐々に筋細胞内のADPやPiが増加してきます。実は、Piは糖を分解する酵素(グリコーゲンホスフォリラーゼ)を活性化するスイッチのような役割を持つ物質です。つまり、ミトコンドリアでのエネルギー産生が間に合わなくなり始める運動強度から、細胞内のPi濃度が高まり始め、Piが糖分解を亢進させ、糖の利用が高まるというわけです。(Pi以外に糖分解を高める経路はありますがここでは割愛)
LTペース辺りで、体の中ではミトコンドリアでのエネルギー産生によるATP再合成が間に合わなくなり始め、使いやすいエネルギーである糖の利用を増やし始めるということが起こっています。
高強度インターバルトレーニングでも、LTを高めることができる
LTは糖の利用が高まり始めるポイントであり、糖の利用はミトコンドリアでのエネルギー産生によるATP再合成が間に合わなくなり始めることで増えていきます。そこで、骨格筋のミトコンドリアを増やすようなトレーニングをするとLTの運動強度(ペース)を高めることができます。言い換えると、トレーニングによりミトコンドリアで産生できるエネルギーの量が増えることで、以前のLTペースよりも少し早いペースで走ってもATPの再合成が間に合うようになるということです。骨格筋のミトコンドリアは、一定ペースである程度の距離を走る一般的な持久性トレーニングでも、数十秒~数分の高強度運動を休息を挟みながら行うインターバルトレーニングでも増加します。俗にLTを鍛えるには、LTペースで走らなければならないといわれます。しかし、生理学的な観点からはそんなことはなくて、LTペース以下の長時間運動でも、LTペース以上の高強度運動でも骨格筋ミトコンドリアは増えるのでLTペースは高まります。むしろ、トレーニングされた持久性アスリートにとっては、だんだんと低~中強度トレーニングの刺激ではLTを高めるには不十分で、高強度のトレーニング刺激が必要であることが示されています(Londeree, 1997)。また、高強度インターバルトレーニングは時間的効率よくミトコンドリアを増やすことができるトレーニング方法です。ミトコンドリアを増やし、LTを高めるために高強度インターバルトレーニングを取り入れてみてはいかがでしょうか?
LTを高めるには、ミトコンドリアを増やすようなトレーニングが大事。なかでも高強度のトレーニングが特に重要であると考えられています。
実際のトレーニング方法
低強度と高強度をバランスよく取り入れよう!
ミトコンドリアを増やすようなトレーニングとして、高強度トレーニングが重要とお話ししましたが、しかし一方で高強度トレーニングのみを行って、マラソンなどの長距離種目を走るのは一般的ではありません。エリート持久性アスリートのトレーニング内容を調べた研究では、多くのエリートアスリートは低強度および高強度トレーニングのトレーニング頻度(回数)が多く、LTペース付近の中強度トレーニングをあまりやらないという特徴があることが分かっています(Seiler and Kjerland, 2006; Stöggl and Sperlich, 2015)。このようなトレーニングモデルはPolarizedトレーニングモデルと呼ばれています。Polarizedトレーニングモデルの有効性は、いくつかのトレーニング介入実験の結果を見ても明らかです(Neal et al., 2012; Stöggl and Sperlich, 2014; Muñoz et al., 2014)。詳細なメカニズムは分かりませんが、どうやら高ボリュームの低強度トレーニングと週に2~3回程度の高強度トレーニングが持久性運動パフォーマンスの改善をもたらしてくれるようです。したがって、実際のトレーニング処方を考えるときは高強度インターバルトレーニングを主軸に練習を組みながらも、ジョギングなど低強度トレーニングを高頻度で行い、たまにLT付近の中強度トレーニングも実施するといったようにバランスよく鍛えるのが重要であると考えられます。
高強度インターバルトレーニングが大事といっても、高強度インターバルトレーニングだけに偏らず、バランスよくトレーニングしよう!
まとめ
- 運動時に糖と脂肪は同時に使われる
- 運動強度に応じて糖と脂肪の利用割合が変わる
- 低強度では脂肪が多く使われ、高強度では糖が多く使われる
- LTは糖の利用を抑えながら運動できる限界の強度
- LT付近から骨格筋内で無機リン酸が増加し始め、糖分解が盛んになる
- LTを高めるには、ミトコンドリアを増やそう
- ミトコンドリアを増やすには、特に高強度トレーニングが重要
- しかし、実際には高強度トレーニングだけでなくバランスよくトレーニングするのが大事
参考文献
- 八田秀雄 乳酸サイエンスーエネルギー代謝と運動生理学ー
- Londeree. (1997) Effect of training on lactate/ventilatory thresholds: a meta-analysis.
- Seiler and Kjerland. (2006) Quantifying training intensity distribution in elite endurance athletes: is there evidence for an “optimal” distribution?
- Stöggl and Sperlich. (2015) The training intensity distribution among well-trained and elite endurance athletes.
- Neal et al. (2012) Does Polarized Training Improve Performance in Recreational Runners?
- Stöggl and Sperlich. (2014) Polarized training has greater impact on key endurance variables than threshold, high intensity, or high volume training.
- Muñoz et al. (2014) Six weeks of a polarized training-intensity distribution leads to greater physiological and performance adaptations than a threshold model in trained cyclists.
コメント